ベルリンの壁   

実は、ドイツに行って日本で買ったベルリンの本を読むまで、東ベルリン、西ベルリンって
いったいどいうことなのか、分かっていませんでした。

東西が別れていた頃、西側に住んでいたにも関わらず。

ドイツが東西に分かれていたのは、よく分かる。
ベルリンの壁って言うのは、その東西を分断したところに立っているのだと思っていたが、
そうではなくって、第二次世界大戦後、東ドイツの中にあるベルリンという大都市だけが、また別口で東(ソ連)と西(米英仏)に分けられていたんですね。
要するに西ベルリンというのは、東ドイツの中にぽつんと陸の孤島みたいに西ベルリンが存在していたんです。

そして、1961年に西ベルリンにどんどん人口流出していくのを食い止める為に東ベルリンがある晩、西ベルリンを取り囲むように鉄条網を張って、翌日の13時には全域を取り囲んじゃったっていうから、すごい意気込みです。

行ってみるとわかりますが、ベルリンって一言で言っても恐ろしくひろいのです。

ドイツ人はこうと決めたら、善悪もなく情け容赦もなくとにかくそれを徹底する人種なのだと、
ベルリン滞在中に感じました。

日本に帰国した今、自分が滞在した場所を改めて確認すると前半は西ベルリン、後半は東ベルリンでした。
アパートは前半ノイバウ、後半アルトバウでした。

両方に滞在できたのは、ラッキーだったなと思いました。

その壁が一部取り残されてギャラリーになっている有名な「イースト・サイド・ギャラリー」と


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その東西の壁を通過できる三つの検問所のうち現存する一つ「チェクポイント・チャーリー」にある「壁博物館」。


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「ブダペストのゲットーの石畳」を使った作品
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「ラウル・ワレンバーグに救われた人々のスウェーデンの住民票(?)」

壁博物館には壁にまつわるありとあらゆる歴史、事件、終焉、現在の平和への思いなどなどが展示されていて、子どもたちも一緒に「ベルリンの壁」について思いをめぐらせました。
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「掲示板の向こうからソ連」



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by ame_agare | 2015-11-26 00:21 | travel | Comments(0)

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